放課後等デイサービス「かみひこうき」を運営し、多くの発達障がいのお子さんと接してきた岩本辰也の最新作 『かみひこうきにのせて 仕事や子育て』が、Amazon POD・kindleで販売開始!
ゴマブックス株式会社
ゴマブックス株式会社(所在地:東京都渋谷区、代表取締役社長:赤井仁)は、放課後等デイサービス「かみひこうき」を運営し、多くの発達障がいのお子さんと接してきた株式会社T-angle代表取締役、岩本辰也の最新作 『かみひこうきにのせて 仕事や子育て 児童発達 教訓「あ・た・ま」』を2024年11月25日(月)よりAmazon POD書籍およびkindleで販売開始しましたことを発表します。
【POD書籍】
https://amzn.asia/d/9zJZPc1(※)POD(プリント・オン・デマンド)書籍は、アマゾンのみでの販売となります。
【電子書籍】
https://amzn.asia/d/2LNCOc1『かみひこうきにのせて 仕事や子育て 児童発達 教訓「あ・た・ま」』
【内容紹介】
★発達障がい、グレーゾーンのお子様との接し方はどうすればいいのか?★
★お子様が育つ3つの「あ・た・ま」とは?★
【内容紹介】
子どもの可能性を信じていますか?
「お母さん」は、れっきとした職業です。「子どもをしっかりと育てなければいけない」という責任を負いながら心身ともに疲れ果てているのではないでしょうか。育児書を買って勉強しても、実際にその通り対応することはとても難しいですよね。
本書は、放課後等デイサービス「かみひこうき」を運営し、多くの発達障がいのお子さんと接してきた経験をスタッフへの訓という形でまとめたものです。日々お子さんと接しているお母さまにも現場のリアルな姿に共感していただけるものと思います。
お子さんの背中を押して、心強い応援団であるためには何が必要なのか? どうすればいいのか? 本書がお役に立てれば幸いです。
【目次】
第1章 理念に込めた思い
第2章 他責で考える前に自責で物事を考えよ 訓(1)
第3章 相手に寄り添い、相手を認めよ 訓(2)
第4章 嫌われることを恐れるな 訓(3)
第5章 指示待ち人間にならず、失敗を恐れず自ら行動せよ 訓(4)
第6章 体験・経験が成長への一番の学びであるということを認識せよ 訓(5)
第7章 継続は力なり、さらなる継続は普遍の宝なり 訓(6)
第8章 いろいろな方向から物事を見る目を養え 訓(7)
第9章 チームワークを重んじ、総合力を発揮せよ 訓(8)
第10章 常に自ら笑顔であいさつせよ 訓(9)
第11章 子どもたちの未来を信じよ 訓(10)
終章 大変な子育てのために
【著者紹介】
岩本辰也(いわもと たつや)
株式会社T-angle 代表取締役
大阪府大阪市旭区生まれ。7歳まで寝屋川市萱島で過ごし8歳から枚方市村野に引っ越す。幼少期は運動が大好きな活発なぽっちゃり体系で地域の少年野球チームに所属する。高学年になり体格も身長も恵まれ6年生卒業時には身長167cmに達する。この体格を生かし少年野球では「4番・キャッチャー」を務める。チーム内では首位打者、打点王、盗塁王、最多出塁率の賞をもらい、このままいけばプロ野球選手になれると勝手に思い込む。しかし中学生になり友達の誘いもありバレーボール部に入部。野球と両立するも中学野球のレベルの高さに圧倒され野球を辞めてしまう。バレーボール部も興味がなくなり1年時に退部。陸上部に入部する。種目は400m、800m、100m×4リレーで大会に出場。成績はともかくエンジョイした陸上部を過ごす。2年生になりやっぱりバレーボールがしたくなり顧問の先生に懇願する。球拾いから1からのスタートを約束しバレーボールにのめり込む。しんどい厳しい練習に耐え、頑張りが認められた? かどうかは定かではないがキャプテン補佐としてレギュラーを獲得。枚方大会、北河内大会、大阪大会を勝ち抜き近畿大会に出場。ベスト16にて敗退する。3年生最後の大会は大阪大会準優勝で引退する。
地元の府立高校に進学後、アルバイトをしながらバレー部に入る。3年生の引退をかけた大会に1年生としてユニホームをもらい、ピンチサーバーとして公式戦に出してもらい、結果5本連続サービスエースを取り1セット勝利に導き、先輩たちに褒められ調子に乗る。3年生が引退した後、アルバイトに重きを置き、バレーボール部を退部する。八百屋さん、ビラ巻き、荷物仕分け、鶏肉屋さんにてチューリップを作ったり、焼き鳥を焼いたりとバイトに励んだが、ここでもやっぱりバレーボールがしたくて2年生時再入部する。3年生になり、引退試合前の練習中、アタック着地時にボールを踏み捻挫と思い込み、試合に間に合わせたいと願っていた。しかし一向に治らず大きな病院を受診した際、左足首の外側と内側の靭帯が完全断裂していると診断され、即入院となる。炎症がひどく即手術できず、10日後手術を受ける。術後すぐ退院し自宅で療養する。柔道部の顧問の先生が家まで迎えに来てくれて高校に通う。ギプスが外れた頃には大学進学も考えていたが、体育大学の試験も足のことが負担と思い断念する。
高校卒業後、社会体育系の専門学校に進学。そのあと、ホテルに就職。3年後、オーストラリアに留学。語学というより観光メインに過ごす。帰国後病院に就職、運動トレーナーとして生活習慣病の運動指導にあたる。急に思い立ち柔道整復師を目指し、家族に反対されながらも病院を退職し専門学校に入学する。勉強と仕事の両立をしながらの3年間を過ごし国家資格を取得。柔道整復師として従事する。ひょん