【立教大学】マテリアルリザバー性能が向上する電子 - イオン混合伝導~イオンを積極的に活用したニューロモルフィック分子ネットワークの実証~
立教大学

立教大学理学部の永野修作教授、石﨑裕也助教、山形大学理学部の松井淳教授、大阪大学大学院理学研究科の松本卓也教授、三坂朝基助教、九州工業大学大学院生命体工学研究科の田中啓文教授、早稲田大学理工学術院の長谷川剛教授らと東ソー株式会社、山梨大学、香川大学の研究グループは、導電性高分子「自己ドープ型ポリチオフェン(S-PEDOT、東ソー株式会社よりサンプル提供)(図1a)」※1に着目し、その電気伝導状態を多価アミン(図1b)による化学的な脱ドープ※2によって精密に制御することで、ホール※3とプロトン(水素イオンH+)が同時に伝導キャリアとして働く“本質的なホール–プロトン混合伝導状態”を創出することに成功しました(図1c)。
【 発表のポイント 】
●自己ドープ型ポリチオフェン(S-PEDOT)の化学的な脱ドープにより、電子(ホール)とイオン(プロトン)が同時に伝導キャリアとして働く"本質的な混合伝導状態"を誘起することに成功しました。
●電子とイオンが協奏した混合伝導状態を利用することで、マテリアルリザバー素子の性能が向上することを明らかにし、本コンセプトが高性能なマテリアルリザバー素子開発において重要な因子であることを実証しました。
●本研究は、イオン(プロトン)伝導を積極的に活用したニューロモルフィック分子ネットワークの設計指針を提示するとともに、次世代の省エネルギーAIデバイスの実現に大きく貢献することが期待されます。
【 研究の概要 】
立教大学理学部の永野修作教授、石﨑裕也助教、山形大学理学部の松井淳教授、大阪大学大学院理学研究科の松本卓也教授、三坂朝基助教、九州工業大学大学院生命体工学研究科の田中啓文教授、早稲田大学理工学術院の長谷川剛教授らと東ソー株式会社、山梨大学、香川大学の研究グループは、導電性高分子「自己ドープ型ポリチオフェン(S-PEDOT、東ソー株式会社よりサンプル提供)(図1a)」※1に着目し、その電気伝導状態を多価アミン(図1b)による化学的な脱ドープ※2によって精密に制御することで、ホール※3とプロトン(水素イオンH+)が同時に伝導キャリアとして働く"本質的なホール-プロトン混合伝導状態"を創出することに成功しました(図1c)。
★添付図1.参照:
(a)自己ドープ型ポリチオフェン(S-PEDOT)と(b)脱ドープ分子である多価アミンの化学構造、(c)本系におけるホール-プロトン混合伝導状態を示すイメージ図。(d)混合伝導状態を示す条件にてマテリアルリザバー素子の性能(波形生成タスクの精度)が向上することを示す図。
本研究で見いだされた本質的な混合伝導状態を示すニューロモルフィック分子ネットワーク※4は、近年、神経模倣型のデバイスとして注目されるマテリアルリザバー素子※5に必要な、非線形応答・短期記憶・高次元性といった特性を兼ね備えており、このような混合伝導状態を活用することで、マテリアルリザバーの素子性能を評価するベンチマークタスクの一つである波形生成タスク※6の精度が向上することを初めて実証しました(図1d)。ホールとプロトンが協奏的に働く本伝導メカニズムは、生体に近い省エネルギー動作を可能にする新たなAIデバイス設計指針として期待されます。
なお、本研究成果はWiley社刊行の国際学術誌Advanced Scienceに掲載されます。
【 研究の背景と発表内容 】
近年、人工知能(AI)技術の発展に伴い、ChatGPTに代表される生成AIや気象予測など、さまざまなサービスが急速に発展しています。一方、現在のAI技術はソフトウェアベースの演算処理に依存しており、莫大な計算コストや消費エネルギーの増加が深刻な課題となっています。このような背景の中、脳の神経回路で行われる情報処理システムを模倣し、低消費電力かつ高速な学習・演算が期待されるリザバーコンピューティング※7が近年注目を集めています。特に、リザバー部位を物理的ハードウェアで実装し、材料そのものに演算を行わせるマテリアルリザバーは、素子構造が比較的単純であることや、低消費エネルギーでの高速な学習・演算が期待されることから近年高い関心を集めています。
これまでに、金属ナノ粒子や有機半導体材料など、主にエレクトロニクスベースの様々な材料系においてマテリアルリザバー素子が報告されており、脳内の神経ネットワーク構造を模倣したネットワーク状の情報伝達経路や非線形の電気特性、短期記憶特性、高次元性といった特性がマテリアルリザバー素子において重要であることが示唆されてきました。プロトンなどのイオン種は生体内ではあらゆる情報担体として重要な役割を担っていますが、電子に比べ質量が大きく、移動度(イオンや電子の動きやすさ)が桁違いに小さいため、情報担体として人工的に利用されることはほとんどなく、イオン-電子混合伝導性の高分子材料であっても主要な伝導キャリアは電子が担っているのが現状です(図2a)。そのため、イオンあるいは電子とイオン両方を協奏的に活用するデバイスの例は極めて限られていました。
S-PEDOTは、その優れた電気伝導特性が報告されています。この高分子材料はリオトロピック液晶性※8を示し、ホール伝導部位である高分子主鎖とプロトン伝導部位である高分子側鎖が相分離してラメラ構造※9を形成するといった特徴を示します(図1c)。本研究では、S-PEDOT薄膜が形成するホール伝導チャネルに対して多価アミンを用いた化学的脱ドープ処理を行い、ホール伝導度を制御することでプロトン伝導度とのバランスを取り、本質的な混合伝導状態の発現を試みました。
その結果、脱ドープしたS-PEDOT膜は、調温・調湿下における電流-電圧測定と交流インピーダンス測定(微少な交流電圧をかけた際の応答で、内部の状態を解析する手法)から、相対湿度(RH)に応じてホール伝導とプロトン伝導の電気伝導への寄与が可逆的に切り替わることが明らかとなりました。また、RH= 60~80%の条件下において、ホールとプロトンの両キャリアの伝導度が同程度となり、本質的な混合伝導状態となっていることが実証されました(図2b)。加湿に伴うプロトン伝導度の増大は、従来の混合伝導性高分子材料にはないS-PEDOT特有の秩序化したナノ構造(ラメラ構造)に由来するものと考えられます。
さらに、調製したS-PEDOT薄膜はリザバー演算に求められる特性(非線形性・短期記憶特性・高次元性)を示すとともに、波形生成タスクやNARMAタスクと呼ばれるリザバー演算におけるベンチマークタスクの検討を行った結果、混合伝導状態が確認されたRH = 60-80%の湿度条件下において、リザバー演算性能が最大となることが明らかとなりました(図1d)。以上より、これらの特性が、ホールとプロトンが協奏的に伝導する混合伝導状態に由来するものであると結論づけました。
本研究は、複数キャリアを活用することで分子ネットワーク型ニューロモルフィックデバイスの性能を向上させる新たなコンセプトを示すものです。将来的には、リチウムイオンなど他のイオン種を導入することで、より複雑で多様な非線形動作を実現する可能性があります。これらのイオン種の活用は、生体に近い情報伝達システムと類似しており、次世代の省エネルギーAI素子の開発につながることが期待されます。
【 今後の展望 】
本研究で明らかとなったホールとプロトンが協奏的に働く混合伝導状態は、多様で複雑な非線形応答を、極めて薄い有機薄膜で実装できることを示しています。混合伝導を活用することで、生体神経系に類似した電気化学的応答を材料レベルで再現できる可能性が高まり、より省エネルギーかつ柔軟性の高いニューロモルフィックデバイスの開発が進むと期待されます。
★添付図2.参照:
(a)従来の混合伝導性高分子における電子(ホール)とイオン(プロトン)の電気伝導度を比較した図。イオン伝導度は電子伝導度と比較して圧倒的に低いため、主要な伝導キャリアは電子となっている。(b)本研究のアプローチで実証したホール-プロトン混合伝導状態。脱ドープによりホール伝導度を低下させ、加湿によってプロトン伝導度を増大させることで、両キャリア伝導のバランスを取り、本質的な混合伝導状態を達成した。
【 謝辞 】
本研究を進めるにあたり、北陸先端科学技術大学院大学 長尾 祐樹 教授には電気計測やイオンの伝導機構において有益なディスカッションを頂きました。また、X線散乱測定においては、信州大学 是津 信行 教授、八名 拓実 博士にご協力いただきました。この場を借りて御礼申し上げます。
本研究は、科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 CREST(課題番号:JPMJCR21B5)の支援を受けたものです。また、JSPS 研究拠点形成事業(課題番号:JPJSCCA20220006)、JSPS 科研費(若手研究)(課題番号:JP22K14731、JP25K18082)、天野工業技術研究所2025年度研究助成金の支援を受けて行われました。
【 論文情報 】
■論文タイトル:
Utilizing cooperative proton-electron mixed conduction induced via chemical dedoping of self-doped poly(3,4-ethylenedioxythiophene) nanofilms for in-material physical reservoirs
■著者名:
Yuya Ishizaki-Betchaku,* Motoaki Onishi, Tomoki Misaka, Mitsuo Hara, Hirokazu Yano, Hidenori Okuzaki, Jun Matsui, Tsuyoshi Hasegawa, Takuya Matsumoto, Hirofumi Tanaka, and Shusaku Nagano*
■雑誌名:Advanced Science
DOI:10.1002/advs.202520270
【 用語解説 】
※1 自己ドープ型ポリチオフェン
一般的な導電性高分子では、電気伝導性を発現させるためにキャリアを供給する添加剤(ドーパント)が必要となる。一方、自己ドープ型ポリチオフェンは、ポリチオフェン骨格にスルホン酸基などのドーパント基をあらかじめ有しているため、外部ドーパントを用いることなく高い電気導電性を示す。
※2 脱ドープ
ここでは、酸化された電気伝導性共役主鎖をもつ高分子に対して、アルキルアミンなどの塩基を添加することで、高分子主鎖を化学的に還元し電気伝導性を低下させるプロセス。
※3 ホール
酸化によって共役主鎖から電子が抜き取られた結果生じる正電荷。この正電荷が高分子主鎖上を移動することで、見かけ上、この正電荷(ホール)が伝導キャリアとして振る舞う。
※4 ニューロモルフィック分子ネットワーク
脳内で見られるニューロンのネットワーク構造やその情報処理システムを人工的なネットワーク構造の分子素子で模倣したもの 。
※5 マテリアルリザバー
リザバーコンピューティング※7において、リザバー部を様々な材料系に置き換えたもので、材料そのものに演算を行わせるデバイス。
※6 波形生成タスク
マテリアルリザバー※5に入力した信号に対して、材料内部で非線形変換された複数の出力信号を利用し、任意の目標波形(三角波・矩形波・ノコギリ波など)を再構成できるかを評価するタスク。
※7 リザバーコンピューティング
入力層、リザバー層、出力層から構成されており、リザバー部と出力部の間の結合重みだけを学習させるため、計算コストが小さく高速な学習・演算が可能であり、特に、画像パターン認識や音声認識など時系列データを取り扱うのに適している。
※8 リオトロピック液晶性
物質が媒体の濃度変化によって液晶性を示す性質。石鹸などの界面活性剤でよくみられる。
※9 ラメラ構造
界面活性分子などが形成する周期的な積層構造。ここでは、S-PEDOTの電子伝導性主鎖とプロトン伝導性側鎖が相分離することで、規則的に積層した構造をさす(図1c)。
以上
▼本件に関する問い合わせ先
立教学院企画部広報室
メール:koho@rikkyo.ac.jp
【リリース発信元】 大学プレスセンター
https://www.u-presscenter.jp/

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