文京区立森鴎外記念館コレクション展「鴎外と子どもたち―於菟、茉莉、杏奴、類が語るパッパ」開催のお知らせ
文京区立森鴎外記念館

4人の子どもたちの言葉から、文学者でも陸軍軍医でもない、優しい「パッパ」としての鴎外を紹介します。
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右から於菟44歳、茉莉31歳(後列)、杏奴25歳、類23歳(「婦人之友」28巻3号 1934年3月より)
文京区立森鴎外記念館では2026年1月18日(日)~3月31日(火)まで、コレクション展「鴎外と子どもたち―於菟、茉莉、杏奴、類が語るパッパ」を開催いたします。
三男二女に恵まれた森鴎外は子煩悩でした。次男・不律(ふりつ、1907~1908)は幼いうちに世を去りますが、長男・於菟(おと、1890~1967)、長女・茉莉(まり、1903~1987)、次女・杏奴(あんぬ、1909~1998)、三男・類(るい1911~1991)は、鴎外の深い愛情に包まれて成長しました。1922(大正11)年に鴎外が60歳で死去した後、4人は父・鴎外への思いを胸に、自らの人生を歩んでいきます。
昭和に入ると、鴎外に関する随筆の執筆依頼が舞い込むようになり、4人はそれぞれの言葉で、文学者でも陸軍軍医でもない、愛する「パッパ」(家族が呼んだ愛称)を語り始めます。また、環境の変化やアジア太平洋戦争を乗り越え、鴎外遺品(愛用品、日記、原稿、書簡など)の継承に努めます。1962(昭和37)年に於菟自らが、2006(平成18)年には杏奴のご遺族が文京区に寄贈した遺品の数々は、当館所蔵資料の核となりました。
本展では、子どもたちの随筆に見える父親としての鴎外を紹介します。そして、於菟と杏奴から受け継いだ館蔵の鴎外遺品を、子どもたちの回想と共に展覧します。於菟、茉莉、杏奴、類が語り伝えてきた「パッパ」への思いをご覧ください。
■開催概要
展覧会名:コレクション展「鴎外と子どもたち―於菟、茉莉、杏奴、類が語るパッパ」
会 期:2026年1月18日(日)~3月31日(火) 計66日間
休 館 日 :1月26日(月)・27日(火)、2月24日(火)~26日(木)、3月23日(月)・24日(火)
開館時間:10時~18時(最終入館は閉館30分前まで)
会 場:文京区立森鴎外記念館 展示室2
観 覧 料 :一般300円(中学生以下無料、20名以上の団体:240円)
主 催:文京区立森鴎外記念館
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杏奴短歌草稿、鴎外添削 大正期杏奴が詠んだ短歌に鴎外が朱筆で添削している。
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於菟自筆原稿『砂に書かれた記録』 1965年発表鴎外没後、遺品を守り、最終的に文京区へ寄贈するまでの経緯を記した随筆。
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類自筆原稿『散歩』 1967年発表大人になった類が鴎外と再会し散歩をする夢を描く。鴎外との記憶が少年時代で止まっている類が、夢のはなしとして鴎外への思慕を綴る。
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茉莉自筆原稿『ドッキリチャンネル(シルレルとウンテル・デン・リンデン)』 1982年発表雑誌「週刊新潮」に連載していたテレビ評。鴎外が学問や文学のことを考える時の目は「鋭くて射るよう」と回想する。
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4人の随筆集左上から時計回りに、於菟『木芙蓉』 時潮社 1936年、茉莉『父の帽子』 筑摩書房 1957年、杏奴『晩年の父』 岩波書店 1936年、類『鴎外の子供たち あとに残されたものの記録』 光文社 1956年。
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鴎外旧蔵双六盤鴎外が妻・志げと母・峰子の不仲を案じて購入したとも言われ、於菟ら子どもたちも共に遊ぶことがあった。
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杏奴旧蔵そろばん 大正期中央の「森杏奴【アンヌ】」は鴎外の筆による。
森 於菟
1890(明治23)~1967(昭和42)年。医学博士、解剖学者。鴎外と最初の妻・登志子との第一子(長男)。東京帝国大学医科大学、同大学理学部卒業。東京帝国大学助教授を経て、1936(昭和11)年に台北帝国大学医学部教授に就任。1947(昭和22)年に帰国後は、東邦大学医学部教授、医学部長等を務めた。
森 茉莉
1903(明治36)~1987(昭和62)年。小説家、随筆家。鴎外と志げの第一子(長女)。仏英和高等女学校卒業。昭和始め頃から仏文学の翻訳、劇評などを手がけ、のちに随筆を執筆するようになる。1957(昭和32)年、54歳の時に『父の帽子』を刊行し日本エッセイストクラブ賞を受賞。その後、『贅沢貧乏』などの随筆、『恋人たちの森』『甘い蜜の部屋』などの小説を次々と発表した。
小堀 杏奴
1909(明治42)~1998(平成10)年。随筆家。鴎外と志げの第三子(次女)。仏英和高等女学校卒業。長原孝太郎や藤島武二のもとで絵画を学び、1931(昭和6)年に弟・類と共に渡仏。帰国後、洋画家・小堀四郎と結婚。兄弟の中で最も早く、鴎外との思い出を綴った随筆を発表し、1936(昭和11)年に『晩年の父』を刊行。その後も、鴎外や家族をテーマとした随筆を多く残した。
森 類
1911(明治44)~1991(平成3)年。随筆家。鴎外と志げの第四子(三男)。杏奴と共に絵画を学び、1931(昭和6)年に渡仏。戦後まもなく文筆活動を始め、詩や随筆を発表。1931(昭和26)年、観潮楼跡地で書店「千朶書房」を開店。1956(昭和31)年、『鴎外の子供たち あとに残されたものの記録』を刊行した。
展示解説、資料キャプションなどを収録したミニ展示ガイドを、開幕日1月18日(日)より館内ショップにて販売します。通信販売にも対応しています。
B5判・12頁 価格:税込300円 発行日:2026年1月18日(日)
○講演会「父と子」
父の子どもへの溢れるばかりの愛は、どのようなかたちとなってあらわれるのか。
その愛のゆくえを、お話しいただきます。
講師:太田 治子 氏(作家)
日時:2026年2月22日(日)14時~15時30分
料金:無料(参加票と本展観覧券(半券可)が必要)
会場:当館2階講座室
定員:50名(事前申込制)
○ギャラリートーク
展示室にて当館学芸員が展示解説を行います。
日時:2月11日(水・祝)、3月11日(水)14時~(30分程度)
※申込不要、高校生以上は当日の展示観覧券が必要です。
○鴎外誕生日記念 無料観覧日
鴎外164回目の誕生日を記念して、2026年1月19日(月)は無料で展覧会をご覧いただけます。
森鴎外とは
1862(文久2)~1922(大正11)年。陸軍軍医、小説家、翻訳家、医学博士。本名・森林太郎。
現在の島根県鹿足郡津和野町に、津和野藩主・亀井家の典医を代々務めた森家の長男として生まれる。1872(明治5)年に10歳で上京。東京大学医学部を卒業後、陸軍軍医となる。1884(明治17)年、ドイツ留学。帰国後の1889(明治22)年に共訳詩集『於母影』を、翌年に小説『舞姫』を発表し文壇で名声を高めた。1907(明治40)年、陸軍軍医総監、陸軍省医務局長に就任。公務の傍ら、『青年』『雁』『山椒大夫』『高瀬舟』『渋江抽斎』などを執筆した。
文京区立森鴎外記念館とは
森鴎外が1892(明治25)年から没する1922(大正11)年までの30年間を過ごした、邸宅「観潮楼」跡地に建つ記念文学館。鴎外生誕150年目に当たる2012(平成24)年に開館した。敷地内には鴎外生前の風景を偲ばせる大イチョウ、庭石(通称「三人冗語の石」)、正門跡の敷石などが遺る。地下一階展示室で年間4回開催している企画展と、様々なイベントをとおして、鴎外の生涯や業績を顕彰している。
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文京区立森鴎外記念館
〒113-0022 東京都文京区千駄木1-23-4
TEL 03-3824-5511 FAX 03-3824-0123
https://moriogai-kinenkan.jp/プレスリリース提供:PR TIMES





記事提供:PRTimes