【立命館大学】書くことへの主観的な困難さと黙読時の自律神経反応を生理心理学的に検討
立命館大学

テストの成績だけでは見えない「学習のコスト」
立命館大学産業社会学部の川崎聡大教授、長崎大学教育学部の松崎泰准教授(立命館大学人間科学研究所客員研究員)、信州大学教育学部の高橋知音教授らの共同研究チームは、大学生31人を対象とした実験から、黙読の速さなどの成績だけでは捉えにくい、本人が感じる「書くことへの困難さ」が、黙読課題中の自律神経反応と関連する可能性を示しました。
- 黙読の速さなど、目に見える成績だけでは捉えにくい学習上の負担を、心拍変動(※1)指標と読み書きの主観的な困難さ(※2)の両面から捉える新たな視点を提示した。- 黙読流ちょう性(※3)と自律神経反応との関係を分析したところ、本人が感じる「書くことへの困難さ」を介した間接的な関連が示された。- 行動成績だけでは捉えにくい学習上の負担を、人文・社会科学に生理学的実験手法を組み込み、主観指標と自律神経指標の両面から検討した領域融合型の研究アプローチを行った。
<研究成果の概要>
これまでの読み書きの力を評価する際には、読む速さや正答率など、目に見えるパフォーマンスが主に重視されてきました。しかし成人では、読み書きに困難を感じていても、努力や工夫によって、表面的には問題なく課題をこなしているように見える場合があります。そのため、成績上は「できている」と評価されても、本人が感じている負担が十分に捉えられない可能性があります。
本研究では、発達障害等の臨床的診断を持たない大学生31人を対象に、文章を声に出さずに読む「黙読」の課題を行い、1.黙読の速さ(黙読流ちょう性)、2.本人が自覚する読み書きの困難さ、3.黙読課題中の自律神経反応、の3点を同時に測定しました。その結果、黙読流ちょう性と自律神経反応との間には明確な直接的関連は認められませんでした。一方で、本人が自覚する「書くことへの困難さ」を介して、黙読流ちょう性と自律神経反応が間接的に関連することが示されました。
この結果は、表面的には課題を遂行できていても、その背後にある主観的・生理的な負担は必ずしも同じではないことを示唆します。本研究は、目に見える成績だけでは捉えにくい「見えない学習上の負担」を、学習者本人の主観と生理反応の両面から理解するための第一歩となる成果です。
<研究の背景>
従来の教育評価や発達支援では、テストの点数や読む速さといった「目に見える成果」が主な基準となってきました。しかし、知的能力に大きな遅れのない成人では、読み書きに困難を感じていても、経験や工夫によってそれを補い、表面的には問題なく課題をこなしているように見える場合があります。こうした自己代償によって、本人が感じている学習上の負担や疲れやすさが周囲から見えにくくなり、支援ニーズが把握されにくくなる可能性があります。
また、心理学や教育学などの人文社会科学系では、これまでアンケートやペーパーテストによる評価が中心であり、課題に取り組んでいる最中の生理反応を捉えるアプローチは十分ではありませんでした。そこで本研究チームは、「心理・教育(主観的困難感)」と「生理(自律神経・心拍変動)」を組み合わせた領域融合型のアプローチを導入しました。自己代償の陰に隠れた学習者の「内的負担」に生理心理学的に迫り、合理的配慮や学習環境のデザインにつながる基礎的知見を得ることを目指したパイロット研究です。
<研究の内容>
本研究では、発達障害等の臨床的診断を持たない大学生31人を対象に、1.黙読流ちょう性、2.本人が自覚する読み書きの困難さ、3.黙読課題中の自律神経反応を同時に測定しました。1.の測定には、日本の高等教育段階の学生向けに開発された読字・書字評価法(RaWF)を用い、2.の測定には、読み書きの主観的な困難感を評価する質問紙(RaWSN)を用いました。3.の自律神経反応については、心拍間隔の変化を示す指標「pNN50(※4)」を用いて、安静時から黙読時への変化を測定しました。
まず、黙読流ちょう性と課題中のpNN50の変化との間に、明確な直接的関連は認められませんでした。また、参加者全体で見ても、安静時と黙読時のpNN50には有意な平均差は認められませんでした。そこで、個人によって異なる自律神経反応に着目し、本人が自覚する「読むことへの困難さ」「書くことへの困難さ」が、黙読流ちょう性と自律神経反応との関係に間接的に関与するかを探索的に検討しました。
その結果、「書くことへの主観的困難」を介する経路では有意な間接的関連が認められた一方、「読むことへの主観的困難」を介する経路では有意な関連は認められませんでした。この結果から、外から観察できる黙読の速さだけでは捉えにくい、本人の主観的な困難さが、課題遂行時の自律神経反応と関連する可能性が示されました。
<社会的な意義>
本研究は、学習者を評価する際に、「課題をできているか」だけでなく、それを達成するためにどの程度の負担やコストを伴っているかにも目を向ける必要性を示唆するものです。特に大学生や成人では、読み書きに困難を感じていても、経験や工夫によって一定の学習成果を維持している場合があり、そのため支援ニーズが表面化しにくいことがあります。本研究の視点は、こうした「見えにくい困難」を捉え、合理的配慮や学習環境の調整を考えるための基礎的知見につながることが期待されます。
一方、本研究は31人を対象としたパイロット研究であり、心拍変動だけから個人の学習上の負担やストレスを判定できるものではありません。今後は、対象者数を拡大するとともに、自律神経、瞳孔反応、脳機能など複数の生理指標と心理・行動指標を組み合わせ、学習時の「見えない負担」がどのような条件で生じ、どのように現れるのかを検証していきます。こうした心理学・教育学と生理学を横断する研究を通して、より根拠に基づいた学習支援や教育環境のデザインにつなげることを目指します。
<研究者のコメント>
読み書きに困難を感じる人は、言語や定義によって割合は異なりますが、限局性学習症(※5)を含めると決して少なくありません。そして、その多くは成長の過程でさまざまな工夫や自己代償を行い、表面的には困難が見えにくくなっていきます。
私たちは、一つの課題を「できる・できない」だけで捉えるのではなく、それを達成するためにどれだけの「コスト」がかかっているのかにも目を向けたいと考えています。そのコストを捉えることができれば、学習をもう少し楽に、そして楽しくできる可能性があると思っています。
<論文情報>
論文名 : A pilot study of subjective difficulty and vagal responses during adult reading fluency
著者 : Akihiro Kawasaki, Yutaka Matsuzaki, Tomone Takahashi
発表雑誌 : Scientific Reports
掲載日 : 2026年8月25日
DOI : 10.1038/s41598-026-68649-6
URL :
https://www.nature.com/articles/s41598-026-68649-6
<用語説明>
※1 心拍変動(HRV):心拍と心拍の間隔の揺らぎ。自律神経の働きをみる指標の一つ。
※2 読み書きの主観的な困難感:本人が「読みや書きにどの程度の難しさを感じているか」という自己認識。本研究では質問紙で評価。
※3 黙読流ちょう性:文字や短い文を、正確かつ滑らかに読む能力。本研究では、1分間に読めた文字数で評価。
※4 pNN50:連続する心拍間隔の差が50ミリ秒を超えた割合。副交感神経系の調整を反映する指標として用いた。
※5 限局性学習症:読む、書く、計算するなど、特定の学習技能の習得や使用に持続的な困難がみられる発達障害の一つ。
プレスリリース提供:PR TIMES
記事提供:PRTimes