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手術中の笑気ガス(N2O)が頚髄損傷後の慢性痛予防に新たな可能性〜ランダム化比較試験で6か月後の神経障害性疼痛軽減を確認〜

埼玉医科大学

■ポイント■
・頚髄損傷手術80例を対象とした世界初の二重盲検注1)ランダム化比較試験注2)を実施
・術中のN2O投与により、術後1日の急性疼痛は改善せず
・N2O投与群の6か月後の安静時痛(10点満点で評価)が有意に低下(0.53 vs 1.72)
・同群では、しびれなど、神経障害性疼痛注3)に特有な症状も有意に改善
・安全性に問題なし
・慢性疼痛の発症予防と、患者の生活の質改善に向けた新たな戦略


■概要■
埼玉医科大学(学長 竹内 勤)総合医療センター麻酔科の保科 真由 医師、加藤 崇央 教授、 小幡 英章 教授らは、頸髄損傷手術における術中笑気ガス(亜酸化窒素:N₂O)の使用が術後疼痛に及ぼす影響を検討するランダム化比較試験を実施しました。
頚髄損傷後は多くの患者が神経障害性疼痛(しびれや異常感覚、痛覚過敏など)を発症し、治療が困難です。本研究では、術中の麻酔にN₂Oを加えることで、術後の急性痛および慢性神経障害性疼痛への影響を評価しました。
その結果、術後1日の安静時痛(主要評価項目)については、N₂O群で対象群と比較して、急性疼痛の軽減効果は認められませんでした。一方で、6か月後(副次評価項目)の評価では、しびれや異常感覚などの神経障害性疼痛症状が有意に低下し、患者の主観的改善度(PGIC注4))も良好でした。重篤な有害事象は認めませんでした。
神経障害性疼痛に代表される慢性痛の発症と維持には、脊髄のNMDA受容体注5)を介する中枢性感作注6)と呼ばれる現象が大きな役割を果たします。N₂OはNMDA受容体拮抗作用を持つ吸入麻酔薬です。本研究は、周術期早期におけるNMDA受容体の抑制などを介した中枢性感作の制御が、慢性疼痛の発症抑制に寄与する可能性を示すものであり、慢性疼痛予防戦略の新たな方向性を提示する重要な知見です。

この成果は2026年PAIN Reports誌にオンライン掲載されました(Pain Rep. 2026 Aug 5;11(5):e1473. doi: 10.1097/PR9.0000000000001473. eCollection 2026 Oct.)。

■研究背景■
頚髄損傷後の疼痛は多様な病態を呈し、患者の生活の質を著しく低下させます。特に神経障害性疼痛(ビリビリとした痛み、しびれ、灼熱感など)は発生頻度が高く、約50%の患者で認められる一方で、有効な予防・治療法は確立されていません。手術による神経の除圧は運動機能回復に有効ですが、術後1年の神経障害性疼痛の軽減に有効ではないことが、日本国内で実施された大規模多施設研究(OSCIS試験)により示されています。
神経障害性疼痛の原因として、神経損傷後の脊髄でのN-methyl-D-aspartate(NMDA)受容体の過活性化(中枢性感作)が重要な役割を果たします。N₂Oは、吸入麻酔薬として広く使用されており、NMDA受容体を非競合的に遮断し鎮痛効果を発揮します。
動物実験ではN₂Oの単回投与が神経障害性疼痛を持続的に軽減することが示されており、臨床研究でも慢性術後疼痛リスクを低下させる可能性が報告されています。
しかし、頚髄損傷という慢性神経障害性疼痛を生じやすい集団を対象としたランダム化比較試験はこれまで国内外で行われていませんでした。

 ■研究内容■
埼玉医科大学総合医療センターにおいて、外傷性頚髄損傷(ASIA機能障害スケールC/D)の緊急手術を受けた成人患者80名を対象に、単施設二重盲検ランダム化比較試験を実施しました(2022年5月〜2023年12月)。患者を無作為に「笑気ガス投与群(N₂O群)」と「空気投与群(対照群)」に割り付けました(各40名)。各群とも術中の麻酔維持はセボフルランとレミフェンタニルで行い、同時にN₂O群には60%N₂O・40%酸素、対照群には空気・40%酸素を投与しました。そして、術後1日(1D)・2週間(2W)・3か月(3M)・6か月(6M)の時点で、疼痛・神経障害性症状(NRS-N、NPSI)、心理状態(HADS)、生活の質(EQ-5D)、患者全般改善度(PGIC)などを評価しました。
最終的に解析対象となったのは59名(平均年齢70.3歳、男性78%;N₂O群30名、対照群29名)で、両群の背景因子・術中オピオイド使用量・術後鎮痛薬に有意差はありませんでした。
【主要評価項目(術後1日の安静時痛)】N₂Oによる急性疼痛抑制効果は認められませんでした(図1,痛みは0-10までのNumerical Rating Scale: NRSで評価し、N₂O群5.10 vs 対照群3.27、p=0.021)。この結果は、急性疼痛がNMDA受容体よりも、組織損傷とそれに続く炎症に依存することと一致します。
【副次評価項目(術後6か月の様々な症状)】安静時痛がN₂O群で有意に低下しました(図1, N₂O群0.53 vs 対照群1.72、p=0.030)。さらに、しびれNRS(NRS-N)も有意に改善(p=0.010)し、神経障害性疼痛スコア(Neuropathic Pain Symptom Inventory: NPSI)も2週・6か月で有意に低下しました(図2)。患者全般改善度(Patient Global Impression of Change scale: PGIC)もN₂O群で良好でした(p=0.033)。
安全性:術後悪心・嘔吐・咽頭痛・嗄声の発生率に両群間で有意差はなく、重篤な有害事象は認めませんでした。



図1. 術中のN₂O投与は急性疼痛を改善しなかったが、6か月後の痛みを軽減した頚髄損傷手術を受けた患者において、術中にN₂Oを投与した群(赤)とAir(対照)群(青)の安静時疼痛を比較した。術後1日においてはN2O群(5.10±3.06)がAir群(3.27±2.69)と比較して有意に高値を示した。一方、術後6か月ではN2O群(0.53±1.25)がAir群(1.72±2.64)と比較して有意に低値であった。NRS(0:痛みなし-10:強い痛み)。データは平均値±標準偏差で示した。*, P<0.05。



図2.N₂Oが神経障害性疼痛症状に与えた影響頚髄損傷手術を受けた患者において、術中にN₂Oを投与した群(赤)とAir群(青)の神経障害性疼痛症状の経時的変化を示す。しびれの程度(NRS-N)の変化術後1日目を基準として、2週間後(2W)、3か月後(3M)、6か月後(6M)の変化量を示した。N₂O群では6か月後にしびれ症状が有意に改善した。神経障害性疼痛症状スコア(NPSI)の変化神経障害性疼痛に特徴的な症状(しびれ、異常感覚、電撃痛など)を総合的に評価したスコアの変化を示す。N₂O群では2週間後および6か月後に有意な改善が認められた。データは平均値±標準偏差で示した。*P<0.05。すなわち、術中N₂O投与群では、神経障害性疼痛に特徴的なしびれや異常感覚が長期間にわたり軽減した。

以上をまとめると、手術中のN₂Oの使用により、術直後の急性疼痛軽減効果は得られないものの、6か月後には以下の変化が確認され、疼痛緩和をもたらすことが示唆されます:
・神経障害性疼痛(しびれ・異常感覚)の有意な低下
・患者の主観的改善度(PGIC)の改善
・生活の質指標における改善傾向

■今後の展望■
本研究は、術中N₂O投与という簡便な介入により、頚髄損傷後の神経障害性疼痛の慢性化を抑制できる可能性を示した世界初のランダム化試験です。患者が術後1日目に感じる急性疼痛への効果がない一方で、術後6か月に疼痛抑制効果が得られたことは、手術中のN₂O投与による早期のNMDA受容体遮断が中枢性感作を抑制し、慢性痛への移行を防ぐという仮説と一致します。
今後の多施設共同研究により、術中N₂O投与という周術期介入について、その慢性疼痛予防戦略としての有効性検証の結果が注目されます。また、アジア系患者においてはMTHFR遺伝子多型がN₂Oの効果を修飾する可能性があり、遺伝子プロファイリングを組み込んだ研究により更なる発展が期待されます。

■研究資金■
本研究は文部科学省科学研究費補助金基盤研究(C)(26K11844)、埼玉医科大学の内部研究費(Grant number: 23-B-1-10)の支援を受けて実施されました。

■論文の情報■
論文名:Randomized Trial of Intraoperative Nitrous Oxide for Postoperative Pain Reduction in Cervical Spinal Cord Injury
雑誌名:Pain Reports. 2026;11:e1473.(Available online: August 5, 2026)
著 者:Mayu Hoshina, Takao Kato, Yuki Shiko, Yohei Kawasaki, Kunihide Okubo, Akiko Kimura, Madoka Yokotani, Yusuke Mazda, Tadashi Yahata, Koichi Inokuchi, Hideaki Obata
U R L: https://doi.org/10.1097/PR9.0000000000001473

■用語の説明■
・注1)二重盲検:試験の参加者(ここでは患者)と評価者の双方が、誰がどの群に属しているのか分からない状態で実施する試験方法
・注2)ランダム化比較試験:参加者(ここでは患者)を無作為(ランダム)にグループ分けすることで処置(ここではN₂O投与)の効果を公平に評価する試験方法
・注3)神経障害性疼痛:神経の損傷や機能異常により生じる慢性疼痛
・注4)PGIC:患者自身による症状改善の主観評価指標
・注5)NMDA受容体:痛みの増幅や慢性化に関与する重要な受容体
・注6)中枢性感作:脊髄・脳レベルで痛みの感受性が増強される現象

※本リリースは、文部科学記者会、科学記者会、各社科学部等に送信させていただいております。
※取材の際には、事前に下記までご一報くださいますようお願い申し上げます。

⊳ 研究についてのお問い合わせ
小幡 英章 (おばた ひであき)
埼玉医科大学 総合医療センター麻酔科 教授
TEL: 042-228-3654
Email: hoobata@saitama-med.ac.jp

⊳ 取材、報道についてのお問い合わせ
 学校法人 埼玉医科大学
企画広報部
 TEL: 049-276-2125, FAX: 049-276-2086
Email: koho@saitama-med.ac.jp

▼本件に関する問い合わせ先
埼玉医科大学企画広報部
住所:埼玉県入間郡毛呂山町毛呂本郷38
TEL:049-276-2125
FAX:049-276-2086
メール:koho@saitama-med.ac.jp

【リリース発信元】 大学プレスセンター https://www.u-presscenter.jp/

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