【日本大学】液晶内部のキラル構造を解明~擬ラセミ体を利用したキラル光学材料へ~
日本大学

【要点】
・金属イオンを中心に持つキラル分子を開発。
・キラル分子が形成する液晶状態の内部構造を解明。
・異種金属イオンを持つキラル分子を混合した場合にも,液晶状態を示すことを発見。
・この混合物は,擬ラセミ体と呼ばれる状態にある。
・擬ラセミ体からなる液晶において,個々の分子では見られない光学特性を検出。
【概要】
日本大学文理学部(東京都世田谷区)の吉田純准教授と北里大学未来工学部(神奈川県相模原市)の渡辺豪教授,香川大学(香川県高松市)の原光生准教授,愛媛大学理学部(愛媛県松山市)の佐藤久子元教授(現 研究員(プロジェクトリーダー))らの研究グループは,属イオンを中心に持つキラル分子を開発し,このキラル分子が形成するカラムナー液晶の内部構造を明らかにするとともに,擬ラセミ体形成を利用した新たなキラル光学材料の開発手法を提案しました。
カラムナー液晶(※1, 2)は,ディスプレイ等に用いられるネマチック液晶とは異なり,2次元的秩序をもち,柔らかな半導体材料や強誘電体材料として注目される次世代マテリアルの1つです。一方,キラリティーをもつ分子(以下キラル分子,※3)から構成される液晶において,分子がどのように配列しているかを明らかにすること,またそれを制御することは,重要な研究課題です。しかし,揺らぎをもつ液晶の内部構造を調査することは容易ではなく,特にラセミ体(※4)から形成されるカラムナー液晶における分子配列構造は謎とされてきました。本研究では,研究チームが独自に開発したキラルな金属錯体(※5)を用い,X線回折測定をはじめとする実験的手法と分子動力学(MD)シミュレーション(※6)を組み合わせることで,右手型分子と左手型分子が交互に積層した構造を明らかにしました。さらにこの知見を活かして,中心金属の異なる2種類の光学活性体(Δ-RuおよびΛ-Ir, 図1)の1:1混合物(擬ラセミ体, ※7)を調製し,これが純物質のラセミ体と同じくカラムナー液晶を発現することを見出しました。通常,ラセミ体は光学不活性ですが,今回の擬ラセミ体からなるカラムナー液晶は光学活性(※8)を示し,Δ-RuおよびΛ-Ir単体では見られないキラル光学特性(※8)を示すことが,振動円二色性分光法(※9)によって裏付けられました。
以上,本研究は,これまで未知であったキラルなカラムナー液晶の内部構造を解明しただけでなく,カラムナー液晶を利用した新たなキラル光学材料の開発手法を提案するものであり,今後の応用展開が期待されます。これらの成果は2025年2月19日付の国際誌「Small」への掲載が決定し,2025年2月19日付で早期公開されました。
【背景】
分子における右手と左手と言えるキラリティーは,医薬品や香料など,様々な化合物に見られる性質です。一般的な化合物においては,右手と左手が混在した状態(ラセミ体)で存在することが多いですが,右手型分子と左手型分子がどのように集合しているのか(交互に並んでいるのか,分離して存在しているのか)を明らかにすることは,容易ではありません。特に分子そのものが揺らいでいる液晶状態では,キラル分子の配列を解明する難易度はさらに上がるため,多くの場合に未解決な課題でした。しかし,分子配列は液晶物性に最も大きく影響するパラメータの1つであるため,その理解が求められてきました。
一方,報告者らの研究グループは,以前に光学活性体(右手型あるいは左手型分子だけからなる物質)から成るカラムナー液晶の構造解析に挑戦し,その液晶内部で形成される「らせん構造」の解明に成功しています(Chem. Commun. 2020, 56, 12134)。この際に有効だったのが,X線回折測定などの実験的手法と,実験結果をベースとしたMDシミュレーションを組み合わせる手法です。この手法をラセミ体にも適用することで,ラセミ体の構造解明が期待されました。
【研究成果】
本研究では,分子の中心にプロペラ型のキラリティーをもつ金属錯体を(※5),液晶を構成する分子として用いたことが鍵となりました。本研究で用いた金属錯体では,光学活性体はΔ体あるいはΛ体と呼ばれます(図2)。Δ, Λ-金属錯体は,不斉炭素をもつような一般的なキラル分子と比べて分子骨格が剛直で,かつキラリティーが分子の中心に存在するため,配列する際に互いのキラリティーが強く影響しあうこと(キラル認識)が予想されました。本研究では,分子中心にルテニウム(原子番号44)をもつ分子(以下Ru)と,分子中心にイリジウム(原子番号77)をもつ分子(以下Ir)をそれぞれ合成しました。
これらの金属錯体(RuまたはIr)は,いずれもそのラセミ体において,約50 ℃から約100 ℃の温度範囲でカラムナー液晶相を示します。さらに詳細に調べますと,低温側では,カラムナー液晶の一種であるレクタンギュラーカラムナー(Colr)液晶相を,高温側ではヘキサゴナルカラムナー(Colh)液晶相を発現することが分かりました。これらの構造を解明するべく,微小角入射X線回折(GI-XRD)測定と分子動力学(MD)シミュレーションを組み合わせた解析を行いました。その結果,Colh相では,Δ体とΛ体が交互に積層してカラムを形成することが示唆された一方で(図2),Colr相ではa = 12.4 nm, b = 2.6 nmの大きな単位格子をもつ集合構造が形成されていることが分かりました。Colr相ではΔ体とΛ体が交互に積み重なることで形成された2つのカラムがペアを形成し,これらが2次元的に集合して液晶相を発現していると考えられます(図2)。Colr相を加熱するとペアカラムが個々のカラムに分離し,個々のカラムが独立に振る舞うようになる結果,Colh相が発現したと考えています。
さらに本研究では,この知見を活かして,2つの異なる光学活性体(Δ-RuおよびΛ-Ir)を混合した擬似ラセミ体を調製しました。この疑似ラセミ体は,ラセミ体(Ru or Ir)と同じカラムナー液晶相を発現します。Λ-Irは単体では液晶相を発現しませんが,Δ-Ruと混合することで,Δ-Ru とΛ-Irが交互に積層し,カラムナー液晶相を発現します。さらに,この疑似ラセミ体は,構造としてはラセミ体ですが,中心の金属が異なるために振動状態が異なる(光学活性である)ことを利用して,赤外領域の光学活性体の性質を調べました。その手法として独自に開発している多次元振動円二色性(VCD)測定を行ったところ,構成成分(Δ-RuあるいはΛ-Ir)とは異なるいくつかのシグナルを観測することができました。これは,擬ラセミ体形成を利用して,単体では見られない新たなキラル光学特性が獲得できたことを示しています。
【今後の展開】
キラル光学特性は,メモリーや表示材料等への期待から,様々な分子が開発されていますが,本研究で示した「擬ラセミ体を利用した材料構築」は,新たな分子を合成する必要がなく,かつ組合せによって多彩な特性が期待できる点で,従来の材料開発とは一線を画すものです。今後,より多彩なキラル光学特性を示す材料開発に繋がると期待されます。
付記
本研究は,科学研究費助成事業 基盤研究(B)「計算科学と実験科学の連携によるキラル液晶のナノ空間制御(研究代表者:渡辺 豪)」(JP 19H02537),新学術領域研究(研究領域提案型)「自己集合性ナノ水圏の理解とモルフォロジー制御(研究代表者:原 光生)」(JP22H04536),挑戦的研究(萌芽)「高密度無機ポリマーブラシがもたらす堅牢で低摩擦な表面(研究代表者:原 光生)」(JP23K17718),基盤研究(B)「昆虫から何を学ぶか:顕微赤外円二色性分光法による昆虫翅中の超分子キラリティ解析(研究代表者:佐藤 久子)」(JP23K23301),基盤研究(C)「粘土鉱物の2次元空間を利用した置換活性錯体の安定化とキラル無機材料への展開(研究代表者:吉田 純)」(JP23K04783),特別研究員奨励費「分子動力学シミュレーションと機械学習に立脚した有機結晶の高精度結晶構造予測(研究代表者:佐藤 俊輔)」(JP24KJ1922),科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業「強誘電性ネマチックの学理深化と機能開拓(研究代表者:荒岡 史人)」(JPMJCR23O1)の支援を受けて行われました。
用語説明
[※1] 液晶: 物質は一般に固体・液体・気体の3つのいずれかの状態を取りますが,物質によっては,固体と液体の間に液晶相が現れます。液晶相は,固体・液体・気体とは異なることから,第四の相とも呼ばれる。また,液晶相を発現している状態・物質を総称して液晶と呼ばれることが多いです。液晶は,その内部の分子配列の違い等によって,さらにネマチック相,スメクチック相,カラムナー相など,様々な相に分類されます。
[※2] カラムナー液晶相:分子が1次元的に積み重なってカラムを形成し,このカラムがさらに2次元的に集合したものをカラムナー液晶相と呼びます。カラムナー液晶相も,カラムの配列様式の違いによって,レクタンギュラーカラムナー(Colr)相や,ヘキサゴナルカラムナー(Colh)相などに細かく分類されます。
[※3] キラリティー:分子における右手と左手の関係の概念をキラリティーと呼びます。キラリティーをもつ分子は,キラル分子と呼ばれます。キラル分子には,光学異性体(鏡像異性体)が存在し,これらの構造は,鏡に対する実像と鏡像の関係にあります。
[※4] ラセミ体: 右手型分子と左手型分子が1:1で混合したものをラセミ体と呼びます。ラセミ体では,それぞれがもつキラル光学特性は打ち消し合い,失われます。
[※5] キラルな金属錯体: 八面体型構造を示す金属錯体では,図2に示すような,Δ(デルタ)体とΛ(ラムダ)体と呼ばれる,光学異性体が存在します。
[※6] 分子動力学(Molecular Dynamics)シミュレーションは、コンピュータを用いて物質の原子・分子の動的な構造変化を時々刻々と計算する手法です。対象の原子や分子に対して古典力学におけるニュートン運動方程式を数値的に解くことによって計算されます。
[※7] 擬ラセミ体: 本研究で用いたキラルな錯体であるΔ-RuおよびΛ-Irは,分子全体の形としては,ほぼ鏡に対する実像と鏡像の関係にありますが,中心金属が異なるため,分子としては異なります。そのため,Δ-RuおよびΛ-Irを1:1で混合しても,ラセミ体と異なり,キラル光学特性は失われません。ここでは,Δ-RuおよびΛ-Irの1:1混合物,あるいはΛ-RuおよびΔ-Irの1:1混合物を擬似的なラセミ体として,擬ラセミ体とよびます。
[※8] 光学活性あるいは光学活性体,キラル光学特性: 光学異性体は,ほとんどの物理的性質(融点や密度など)は同じであるため,通常は区別できませんが,ある種の光学的性質は異なることがあります。よく知られているのが旋光性の違いで,一方の光学異性体のみを含む溶液に直線偏光を入射すると,偏光の向きが変わります。この違いを旋光性と言います。光学異性体が示す光学的性質の違いとしては,ほかに,紫外可視領域の円偏光の吸収の差(electronic circular dichroism, ECD), 赤外領域の円偏光の吸収の差(vibrational circular dichroism, VCD), さらに円偏光発光における違い(Circularly polarized luminescence, CPL)などが知られています。ここでは,これらを総称して,キラル光学特性と呼びます。
[※9] 振動円二色性分光法:赤外領域における,円偏光の吸収の差を振動円二色性(Vibrational Circular Dichroism)と呼びます。振動円二色性はVCDとも呼ばれます。本研究では,佐藤(愛媛大学)と日本分光株式会社によって開発された高感度のVCD測定装置を用いました。
論文情報
掲載誌 : Small
論文タイトル : Racemic Assembly of Octahedral Metallomesogens via Δ-Λ Chiral Interaction: Detection of Novel VCD Signals in Quasi-Racemate
著者 : Hideyo Yoshida, Kozue Nishimoto, Hidetaka Yuge, Takuyoshi Mandai, Shintaro Yoshida, Shunsuke Sato, Hisako Sato, Mitsuo Hara, Go Watanabe, Jun Yoshida
DOI : 10.1002/smll.202500564
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/smll.202500564
【研究に関する問い合わせ先】
日本大学 文理学部 化学科 准教授
吉田 純(よしだ じゅん)
E-mail: yoshida.jun@nihon-u.ac.jp
北里大学 未来工学部 データサイエンス学科 教授
渡辺 豪(わたなべ ごう)
E-mail: go0325@kitasato-u.ac.jp
香川大学 創造工学部 材料物質科学領域 准教授
原 光生(はら みつお)
E-mail: hara.mitsuo@kagawa-u.ac.jp
【報道に関する問い合わせ先】
日本大学 文理学部庶務課
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E-mail: chs.shomu@nihon-u.ac.jp
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E-mail: kohoh@kitasato-u.ac.jp
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