【横浜市立大学】乳がんの「小葉がんらしさ」を捉える新指標を開発
横浜市立大学

― 病理組織型と分子情報をつなぐ新たな乳がん理解へ ―
横浜市立大学附属病院 乳腺外科の押正徳助教らの研究グループは、群馬大学大学院医学系研究科総合外科学講座 乳腺・内分泌外科学の黒住献准教授らとの共同研究により、乳がんの「小葉がんらしさ」を遺伝子発現情報*1から数値化する新指標「ILCness」*2を開発し、乳管がんの中にも小葉がんに類似した分子特性を持つ腫瘍が存在することを明らかにしました。本研究成果は、乳がんの多様性を病理組織型と分子特性の両面から理解し、より精緻な患者層別化につながることが期待されます。
本研究成果は、「Modern Pathology」誌にオンライン先行公開されました(2026年8月25日)。
研究成果のポイント
乳がんの一種である浸潤性小葉がん(ILC)*3の特徴を、遺伝子発現情報から連続的に数値化する新たな指標「ILCness」を開発した。
従来の病理診断では浸潤性乳管がん(IDC)*4と診断される乳がんの中にも、分子レベルではILCに類似した特徴を示す腫瘍が存在することを明らかにした。
ILCnessは、病理組織型や代表的な遺伝子異常だけでは捉えきれない腫瘍の生物学的特徴、予後、腫瘍微小環境*5、治療反応との関連を示した。
今後、乳がんを従来の分類だけではなく、腫瘍が持つ生物学的特徴に基づいて層別化するための新たな手法につながる可能性がある。
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図1 乳がんにおけるILCnessの分布
研究背景
乳がんは単一の疾患ではなく、病理学的・分子生物学的に多様な腫瘍から構成されています。ILCはIDCとは異なる特徴を持つ乳がんとして知られ、特に細胞接着に関与するCDH1遺伝子*6の機能喪失が代表的な分子異常とされています[1]。しかし、すべてのILCが同一の分子特性を示すわけではなく、病理組織型や単一の遺伝子異常だけでは、その生物学的多様性を十分に説明できないことが課題でした[2]。また、従来IDCとして分類されてきた腫瘍の中に、ILCに類似した分子状態を持つ腫瘍が存在するかについても、十分には明らかになっていませんでした。そこで本研究では、病理組織型というカテゴリー分類とは異なる視点から、乳がんにおける「小葉がんらしさ」を遺伝子発現情報によって連続的に定量化することを試みました。
研究内容
本研究では、乳がんの大規模公開データベースであるMETABRICの遺伝子発現データを用い、IDCとILCの間で異なる発現を示す遺伝子を解析しました。さらに主成分分析*7を用いて、ILCに特徴的な遺伝子発現状態を連続値として表す新たな指標「ILCness」を構築しました。遺伝子発現情報から算出したILCnessを用いて乳がんを解析すると、ILCness値は連続変数として変化しました。一方でIDC、混合型、ILC各組織型でのILCnessの分布には重なりがあり、病理学的にはIDCと診断された腫瘍の中にも高いILCnessを示すものが認められました(図1)。また、ILCnessが高い腫瘍では、上皮間葉転換(EMT)に関連する遺伝子発現が高く、一方で細胞増殖に関わるE2F標的遺伝子の活性は低い傾向を示しました。これらの特徴はCDH1遺伝子変異を持たない腫瘍でも認められ、ILCnessがCDH1遺伝子変異の有無だけでは捉えきれない腫瘍の生物学的状態を反映していることが示唆されました(図2)。さらに、ILCnessはリンパ節転移や疾患特異的生存期間と関連し、特にIDC患者の中でも予後の異なる患者群を層別化しました。腫瘍微小環境の解析でも、ILCnessに応じて免疫細胞や間質細胞の構成が異なることが示されました。これらの主要な知見は、独立したTCGA乳がんコホートでも検証されました。また、複数の独立した治療コホートを用いた探索的解析では、ILCnessと治療反応との関連も示唆されました。
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図2 ILCnessの違いと腫瘍の遺伝子発現プログラムとの関連
今後の展開
本研究は、乳がんを従来の病理組織型だけで分類するのではなく、腫瘍が持つ分子生物学的特徴を連続的に評価する新たな考え方を提示するものです。今後、より多くの独立した患者集団や前向き臨床研究でILCnessを検証することにより、患者さんごとの腫瘍生物学をより精密に捉え、予後予測や治療選択に活用できる可能性があります。一方、本研究で示した治療反応との関連は探索的な結果であり、現時点でILCnessを用いて個々の患者さんの治療法を選択できる段階ではありません。今後の臨床的検証によって、その有用性を明らかにする必要があります。
研究費
本研究は、科研費(23K14600)、NIH事業の支援を受けて実施されました。
論文情報
タイトル:A transcriptional ILCness score reveals lobular-like biology and clinical behavior
beyond CDH1 mutation status
著者:Masanori Oshi, Sasagu Kurozumi, Mayu Hizume, Akimitsu Yamada, Zunairah Shah,
Itaru Endo, Kazuaki Takabe
掲載雑誌:Modern Pathology
DOI:
https://doi.org/10.1016/j.modpat.2026.101072
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用語説明
*1 遺伝子発現(トランスクリプトーム)情報:細胞や組織で多数の遺伝子がどの程度働いているかを網羅的に捉えた情報。
*2 ILCness:本研究で開発した、腫瘍がILCに特徴的な遺伝子発現状態をどの程度示すかを連続的に数値化した指標。
*3 浸潤性小葉がん(ILC):乳がんの主要な組織型の一つ。乳腺の小葉に由来する特徴的な病理像を示し、CDH1遺伝子の機能喪失を高頻度に伴う。
*4 浸潤性乳管がん(IDC):乳がんで最も一般的な組織型。病理組織学的特徴に基づいてILCなどの特殊型と区別される。
*5 腫瘍微小環境:がん細胞の周囲に存在する免疫細胞、間質細胞、血管などから構成され、がんの進展や治療反応に影響する環境。
*6 CDH1遺伝子:細胞同士の接着に重要なE-cadherinをコードする遺伝子。ILCではCDH1の機能喪失が代表的な分子異常として知られている。
*7 主成分分析(PCA):多数の変数から構成される複雑なデータの主要な特徴を、少数の指標に要約する統計学的手法。
参考文献など
[1] McCart Reed AE, Kalinowski L, Simpson PT, Lakhani SR: Invasive lobular carcinoma of the breast: the increasing importance of this special subtype. Breast Cancer Res 2021, 23(1):6.
[2] Ciriello G, Gatza ML, Beck AH, Wilkerson MD, Rhie SK, Pastore A, Zhang H, McLellan M, Yau C, Kandoth C et al: Comprehensive Molecular Portraits of Invasive Lobular Breast Cancer. Cell 2015, 163(2):506-519.


記事提供:Digital PR Platform